Interview

絵を描くことは人生|画家を目指して南仏の小さな村へ

油彩画をメインに、音と色を融合させた作品を描く宗像 敏男さん。プロヴァンスの様々な情景を、色彩豊かに描かれています。

どのような想いやこだわりから描かれているのか。宗像 敏男さんにお話を伺いました。

夢を叶えるために南仏へ渡航

ー絵を描き始めたきっかけを教えてください。

「一生続くような仕事をしたい」という考えを子供の時から持っていたんですが、20歳ぐらいの時に「絵」に関することが良いな、と思ったのがきっかけですね。具体的に「画家を目指したい」と思ったのは26歳ぐらいの時で、かれこれもう50年ほど絵を描き続けています。

昔から工作は好きで、木をノコギリで切って箱を作ったりしたんですが、絵は学校で図工の時間に描くぐらいでしたね。当時はあまり絵を描いていなかった分、その時描いていた絵のことはすごく覚えています。童謡の『どんぐりころころ』をテーマにした絵とかを描くのが好きでした。

ー絵に関することを仕事にしたいと思ったのは何故ですか?

「好きだったから」という消去法で絵だけ残った感じなんですよね。最初は大きなものを設計することに興味があって、大学は建築系の学部に進学しました。

途中から絵を学びたいと思い、大学の授業がない時に近くの絵画教室に通い始めることにしたんです。デッサンを教えてもらったり、画家の人はどんな生活をしているのかを色々聞いたり、そういうことから始めていました。

絵を描きたいとは思いつつ、どうやって描いたらいいのかも分からないような状態だったので、光と影をどう見るのか、木炭デッサンで白と黒の描き分け方から学んでいきました。

大学を卒業してから3年間は、住宅事業を行っている会社で中高層の住宅開発に関わっていました。実際に設計から施工まで行って、「出来栄えはどうか」「住み心地はどうか」を見ていく、というのをずっとしていたんですよね。

それで、3年関わって一旦満足したので、「建築はしばらく辞めて絵の方に専念しよう」と思い、会社を退職しました。

そこから、制作活動のためにフランスのプロヴァンス地方(南仏)へ渡航しまして。『アヴィニョンの橋の上で』という歌があるんですが、その題材になった橋の近くにある「セグレ村」という、小さな村に行きました。

そこには、アトリエ兼レストラン兼ホテルみたいな施設があって、下着だけ持って行けば生活できるようなところなんですよね。日本から最低限のものと画材だけ持って行って、他に必要なものは現地で調達しながら、生活していました。

作品名:セグレ村到着 CG画 (1974年)

人付き合いの基本はどこでも同じ

ー行動力がすごい。活動拠点は外国にされたんですね。

セザンヌやピカソ、ゴッホ、ルノアールとかもみんな南仏に来ているからですね。画集とかでたくさん見ていた影響で興味があったのと、美術館もたくさんありますし、気候としても住みやすくて。私は福岡出身で寒さに弱いので、ちょうど良いなと思って選びました。

言葉は学校でも習ったことはなく、最初は行き当たりばったりでした。ただ、話しているとお互いニュアンスがなんとなく通じたので、なんとかなりましたね。

100人ぐらいの小さい村なので、毎日外で絵を描いていると人と会うんですよ。「どこから来たのか」って話しかけてくれる人たちと会話をしながら、フランス語を学んでいきました。絵のおかげで、視覚的にも理解してもらいやすかった部分はあると思います。

あとは現地でできた絵描きの友人に、手紙を書きながら教えてもらうこともありましたね。

1年も滞在していたら、この人は短気だとか陽気な人とか、そういうのが大体分かるんですよ。なので、年齢関係なく、ニュアンスが伝わりやすくてコミュニケーションの取りやすい人と好んで付き合っていきました。国籍問わず、人間付き合いの基本だなと。

ーずっと南仏に滞在されていたんですか?

滞在期間は、長くても1年間とかですね。南仏では、仕事はしたくなかったというか出来なかったというか。絵を描くことに専念したかったのと、やっぱり外国で働くとなると色々厳しいんですよね。なので、日本でアルバイトしてお金を貯めて、貯まったら渡航するというようなルーティンでした。

あとは、描いた絵の展覧会を南仏で開いた時に、買ってもらうこともありました。村で滞在していた施設がアトリエも兼ねていて、食堂の壁に置かせてもらう形でしたね。

南仏はバカンス客が多いんですよ。イギリスとかドイツとかスイスとか、あっちこっちから来る人たちがいて。その中には、私がネットとかで「南仏に行く」って言ったら、「観に行きます」って来てくれて、絵を買ってくれる人もいるんです。そういう人たちにも支えられていますね。

絵と音楽には通じるものがある

ーどういったコンセプトで描かれているんでしょうか。

生きてる躍動感みたいなのを表現できればいいなと。そこに辿り着くまで20〜30年かかっているんですけど、最終的には「絵は音楽さ」というコンセプトになりました。

現地で知り合った絵描きの友人が、絵を描く前に音楽を聴いていた影響もあります。その友人は、絵を描く前に必ずヴィヴァルディとかの音楽を聴くんですよ。それを知って、やっぱり絵と音楽って通じるものがあるのかなと。

日本でも、料理の見た目を綺麗に飾ることがあると思うんですけど、そういう色のハーモニーとかも絵の中に使うみたいな。花とかの綺麗さをそのまま表現したいというのと、色んなところで見聞きしたものを、総合的に合わせて今の形になっていきました。

色相環を大切にすることはずっと変わっていないんですが、絵の描き方自体はコロコロ変わるんですよね。

色相環:光の波長の違いによって変化する虹色のような色を、円環状に体系化したもの。

同じように描いていてもマンネリ化して面白くないので、「ちょっと花は描かないで風景にしよう」とか、「風景は描かないで部屋の中の様子にしよう」とか。それを、窓や椅子が歌ったり踊ったりしているように描く、みたいなことをしています。

最初は見た通りのものを描いていたので、同じ南仏の絵でも今とは全然違った感じになっています。

当初の見たまま描かれていた作品(作品名:歌う南仏の村)

ー確かに、かなり違った画風ですね。

あんまり性格的にも外れたことは出来なくて、今は音楽を聴いて感じたものを描く、みたいな感じです。

何にでも感動があって、風景見て「綺麗」と思ったり、音楽を聴いて「良い」と思ったり、食べ物を食べて「美味しい」と思ったり。何かしらの感動があるから、何でもアートになるんですよね。

最近は酒屋を始めた友人がいるので、醸造酒の「匂い」を絵にしたらどんなものが出来上がるか、みたいなのも試しています。

あとは、元々異文化に興味があった影響で、西洋の技法である油彩画を好んで描いていたんですが、最近だと日本の水墨画とか水彩画とか、いわゆる水を使って描く技法も好んで試しています。やっぱり日本人なので、水彩のサラサラした感じも良いなと思い始めました。

油彩画を水っぽく描く、なんてこともやってみたり。あとは、アクリルやパステルとかも色々使っています。

ー絵を描く上でのこだわりは何でしょうか?

テンポのいい曲を聴くと自分も楽しいので、そういう曲を聴きながら描いています。やっぱり自分が楽しくないと、色彩の表現に楽しさが出てこないんですよね。ペタペタって色を置いてもリズムにならないし。だから、サイズとかを変えて描くと、リズムが出来て「何か音楽っぽい」みたいな感じです。

人との会話でヒントをもらったり、本を読んだり景色を見たり、そういう経験を取り込んでいます。自分を喜ばせてくれるようなものをモチーフにして描く、という風にしていますね。

「絵=人生」だからこその自由

ー今後やってみたいことを教えてください。

モチーフはどうなっていくか分からないですが、「もっと自由に、もっと楽しく、もっと綺麗に」描いていけたらなと思います。「絵=人生」だと思って描いているので、「絵だけ自由」ということはないと思っているんですよね。一般的にも、よく「性格が絵に出ている」なんてことも言われますから。

なので、制作活動だけじゃなくて、日常生活においても自由でいられるよう健康には気をつけています。食べ物が身体のエネルギーを作るので、その辺も気にしたりしながら。自由でありつつ、そういう部分はシビアに、基本から作っていけたらなと。

それから、私は昔から赤色が好きなんですよね。エネルギッシュで、温かい感じがするところとか。それはずっと変わらないので、「いかに赤色を綺麗に見せるか」というのをテーマに、今後もアプローチの仕方を変えて追求していけたらなと思います。

宗像 敏男

宗像 敏男

「一生続く仕事」として画家になることを目指し、会社員を辞めて南仏へ渡航する。現地で言葉を学びながら、様々な経験を糧に作品を制作。「絵は音楽さ」をコンセプトに、自由な作品を描き続けている。

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